Guy Fawkes Day


今日はGuy Faukes Dayという一種のお祭りの日です。
夜になると花火をあげて大きな焚き火をたくため、
子供たちにとっては楽しい秋の風物詩となっています。


ただ、このお祭りの由来は決して楽しいものではなく、
むしろイギリスの血なまぐさい歴史を色濃く反映しています。


時は1605年11月5日、
ガイ・フォークス(Guy Fawkes)という人物が仲間と共に逮捕されました。
容疑は当時の英国国王ジェームズ1世の暗殺未遂。
ウェストミンスター宮殿内の議場地下に火薬を仕掛け、
国王を議員もろとも爆殺しようという謀略でした。
実際この計画は最終段階まで進められており、
合計2,500キロもの火薬を詰めた樽が、
すでに議場の地下室に運び込まれていたそうです。


彼らはなぜそのような物騒なテロを実行しようとしたのでしょうか?
実はガイ・フォークスとその一味はカトリック教徒で、
彼らの信仰を徹底的に弾圧していたジェームズ1世を憎んでいたのです。
ただし、計画そのものの発案者はガイ・フォークスその人ではなく、
ロバート・ケイツビー(Robert Catesby)という貴族だったのですが。


フォークスは苛烈な拷問を受けて容疑を認め、
「Hanging, drawing and quartering」と呼ばれる極刑に処せられました。
刑の内容はあまりにも残酷なため描写を控えますが、
肉体的・精神的に最大の苦痛と辱めが加えられた上、
遺体が焼かれ魂までも滅ぼされるという恐るべき処刑法でした。


キリスト教では最後の審判の日に復活して神の前で裁きを受けることになっています。
遺体がなければ復活できず、裁きを受けることができないため魂の救済が望めません。
つまり、遺体を焼くということは、その人の最後の希望をも奪い取ることだったのです。


その後イギリスでは毎年11月5日の夜に
陰謀の失敗と反逆者ガイ・フォークスの死を記念してお祭りを行うようになりました。
クライマックスでは「ガイ」と呼ばれる案山子が引き回された上、
大きな焚き火に投げ込まれて焼かれます。


最近の研究によると、陰謀が実際に決行されていたならば、
犠牲は彼らの標的であった国王や議員たちだけでは済まず、、
宮殿周辺にいた一般市民も多く巻き添えになっていた可能性があるとのこと。
ガイ・フォークスは従軍経験があり火薬の扱いも心得ていたため、
彼らの計画がどのような結果を引き起こすか理解していたと考えられます。
要するに、フォークスたちは計画的な無差別テロを引き起こそうとしていたわけです。


彼らが置かれていた過酷な状況を考えても、やはりテロは許されません。
しかしその一方で、彼らが受けた凄惨な拷問と恐ろしい極刑、
さらに400年以上に渡って繰り返される「処刑」を考えると・・・


さっきから、そこここでたくさんの花火が打ち上げられ、
窓からは破裂の音と火薬の匂いが流れ込んできています。
今夜もイギリス中で多くの「ガイ」が火あぶりにされていることでしょう。